わたしは、じぶんの音楽を、作品を、
じぶんの脳内でうんうんひねり出して”つくっている”んではなくて、
生まれ出ようとする”なにか”を受け取って、
その”なにか”を、じぶんを通して世に表現しているのかもしれないな、と思うときが、ときどきある。
もともと、シンガーソングライターになりたいと思っていたわけではない。
(裏方さんを目指していた)
ただ、若い頃から、あふれる言葉はノートに書き続けていた。
(高校生の頃は短歌作りに没頭していて、その”五七五七七”の世界で表現する”ことば”の精神が、知らず知らずにその後の曲作りに役立った)
それはもともと、自分自身を癒すため。
あふれることばを、書いて表現していないと、エネルギーが飽和して、若い頃にとっくに頭がおかしくなっていたか、もしくは死んでいたかもしれないな、なんて、思う。
わたしは日本語の美しさが好きで、
そして、ことばが浮かんだときに、その言葉になじむメロディも一緒に浮かぶ。
そのスイッチが入ってからは、
まるで水を得た魚、というのかな、
おおげさに言うと、
やっとこの世界で自然に息ができるアイテムを手にいれたような感じ。
これまでは、そんな感じで、気持ちの向くままに、その時々の作品をつくって突っ走ってきた。
そして、いろいろと経たいま、
改めて、
その、”浮かぶことばを曲にする”ツールを、
じぶんの癒しのためだけではなく、
もっとたくさんの人の心の癒しになるような、
そんなことにつかうときがそろそろ来ているんじゃあないか、
なんて思ったりしている。
その、もっと多くの誰かのためになるような”なにか”の光やアイデアが、
届いたときにすんなりと受け取れるように
素直な“受信力”と、それをかたちにする”瞬発力”と”ワクワク”を、
いつも持っていたいと、おもってる。