photo by/菅原光博さん(ミッチー) |
21才の頃。
その頃のわたしは、ジャズスタンダード曲をときどき銀座や上野のジャズクラブで歌わせてもらっていて、
本場のニューヨークでいろいろライブをみてみたいな、
と思いたち、
けれどもそんなお金はなかったので友人に10万円を借りて(その頃のわたしに貯金という概念はない)、
無謀にもひとりでニューヨークに行った。
その頃わたしをとってもよくかわいがってくれていた劇団未来劇場の看板女優、水森亜土さんが、NYに部屋を持っている"写真家のミッチー"を紹介してくれて(おまけに旅のお餞別まで包んでくれた)、ミッチーのウエストビレッジのアパートに2週間ほど居候させてもらった。
毎晩あちこちのジャズクラブで素晴らしい演奏が繰り広げられていて、
当時5ドルくらいで1ステージみれたので、お店をはしごして、一晩にいろんなライブが体験できた。
居候先のミッチーがアフリカ好きだった(後に知ったことだれど、その"ミッチー"はボブ・マーリィの日本公演も撮ったことのある実力派の写真家だった)ので、
アフリカン・フェテにも何度か参加してその熱気に触れ(そこでカサンドラ・ウィルソンをはじめてみて感動した)、
ハーレムの小さなお店で、すごいうまい黒人女性の小さなライブをみたり、
アポロシアターの響きも堪能した。
とはいえ、NYにいるそのときや、日本に帰ってからしばらくは、なにか自分の栄養になったかなあ、とわからずにいたけれども、
その日々は今でもかけがえなくわたしの心にキラキラとあり、
直接ではなくても、その後のわたしの音楽活動に絶対的な要素として輝きを放っている。
先は見えなくても、お金がなくっても、
若者は旅をした方がいい、と振り返ってみて改めておもう(若者じゃなくっても、思い立てばすぐにでも!)。
ちなみにそのときのミラクルのはなし。
その友人に10万円を借りて行ったNY旅の帰りの飛行機で、
通路をはさんで斜め後ろに座った日本人男性(おそらく40代)と、長旅のなかでいろいろおしゃべりし、わたしが歌を歌っているということが分かると、
その男性は、応援したい、と言ってくれ、
帰国後、なんと10万円をわたしの口座に振り込んでくれた。
なんの見返りもなしに!
彼は特にお金持ち、というのでもなく、普通のサラリーマンで妻子もあり(後日、奥さんとお子さんも一緒にごはんを食べた)、
本当に善意で自分のポケットマネーを、わたしに投資してくれたのだ。
なんの名もない、しかもわたしの歌声も聞いたことがないのに、飛行機で席が近かったというご縁だけで!!
これぞミラクル。
このように、なにはなくとも飛び出してしまえば、
なにかしらの天の助けがあるようだ
と、思った21才の夏、のはなし。
5 件のコメント:
本当に、そんなことってあるんですね。素晴らしい旅でしたね。
ありがとうございます。
そうですね!
イノトモさん
はじめまして。
ニューヨークでのご縁話に感動いたしました。
こちらはもうかれこれ15年ぐらい前に、タワレコで一押しだったイノトモさんの「風の庭」を視聴して、その場で即決で買いました。それから、ずーっと聴いています。
今、イノトモさんの「あのころボクは」を聴いていたときに、ふと「ブログやっていらっしゃるのかな。」思い、ここまでやってきました。
イノトモさんワールドの内容で、すごくうれしいです。
今まで数えきれないほど、イノトモさんの歌で癒されましたし、たーーーっくさん涙しました。本当に大好きです。
ありがとうございます。
これかも、素敵な歌声を聴かせてください。
応援しています!!!!!!
もうちょー。さん
ありがとうございます。
ながく聴いてくださり、うれしいです。
これからもどうぞよろしくお願いします♪
お返事ありがとうございます。うるうる。
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