先日その友人のお父さんが亡くなって(ながいこと患っていて覚悟はできていたらしい)、
それを彼のバンドメンバーが伝えてくれて、
お香典を送ろうと思っていたらそのメンバーがわざわざ吉祥寺の我が家まで受け取りに来てくれて(たぶんいろんなところにこんなふうに律儀に出向いているのだろう)、
バンドってこんなに結束の固いものなのだなあ、
父上が亡くなった彼とはそのバンドがはじまる前からの親しい付き合いだけれど、
こんなときにこんなふうに、家族のようにケアしてくれる、
バンドって、
そんなふうにもしっかりとつながっているものなのだなあ、
と、お香典の件にまぎれて、基本ソロでやってきたわたくしとしては、そんなように思ったものです。
そして今日、お香典返しをわざわざ我が家まで届けに来てくれた彼。
その熱いメンバーたちのおかげで、たくさんの人たちにお返しを届ける途中だそうで、
いろいろ大変だろうし郵送しちゃえばいいものを(しかもうちはお返しはいらないと手紙で釘を刺しておいたのに)、
ひとりひとりに自分で届けてまわるつもりらしい(たぶん都内や、神奈川県とかまでぐるぐる)。
たぶん、相当な数だろう。
愛の贈り合いだね。
そういえばずっと昔、デザイナーのおだじまくんが絵本をつくったときに、
それに付けるレコード用に声の出演で手伝ったことがある。
そのときに確かおだじまくんは、我が家に出来上がりのレコード付き絵本を突然届けにきてくれた。
「トントン」
とドアをたたいて(当時の部屋にはドアチャイムがなかった)。
あがってお茶でも飲んでいけば、と誘っても、
まだ届ける家があるから、と、そのまま帰っていった。
今回の彼もそう。
この時代になんてアナログな、なんて愛のこもったやり方だろう。
それでもうひとつ思い出したことは、
アコーディオン弾きのスパン子は、
まだわたしたちがもっと若くて自由だったころ、
ときどきわたしの誕生日に、
手作りのなにかを持って来てくれていた。
自分で掘った木彫りのちいさな丸鏡や、
手編みの靴下や、彼女が撮ったわたしの写真を額に入れたもの、
など、手作りじゃないときでも、わたしの好きな切り子のおちょこセットや、綺麗な照明器具、など、
今から考えると、
恋人などではなくただのアホな友人のこのわたしに、
あのような手のこんだ、気の利いた品を贈ってくれていたなんて、
なんて愛のあふれたひとだろう。
当時は、わーい!
とただ喜んでいたものが、
今になって、
そうやって時間をかけた、気持ちのこもった贈り物がどんなに貴重なものだったかが、よくわかる。
すべてが、あわよくば無駄を省いていこうとする方向の今だからこそ、
こんなふうな心のこもったやりとりに、
本当の意味で心を動かされるのだと、
改めて感じた今日の夕方でした。
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