わたしの作品で残っている一番古いものは、
たぶん3,4才の頃の自作の歌の、母親が録ってくれたカセット音源。
な、み、だ、が、ポロポロー、
というフレーズを何回も繰り返す歌。
そして小1くらいから自作の絵本をつくりはじめる。
「チコのたんじょうび」
という、"チコ"という飼い犬が、
今日は自分の誕生日なのに家族のみんなは誰も気付いてくれないなあ、というところからはじまり、
でも結局、それは家族のチコへのサプライズのお話になっていく。
"チコ"シリーズはその後たぶん何作か作ったと思う。
その後、小3くらいから
「いたずら4人組の冒険」
など、冒険ものをつくりはじめ、
小5くらいからは、
「ポーコちゃんの参観日」
「ポーコちゃんとロートくん」
など、
8つ下の弟とわたしの間に巻き起こる、
ちょっとしたエッセイ風お笑いネタのミニ絵本に変わっていった。
(弟は幼い頃、"ともこちゃん"が言えず、わたしのことを"ポーコちゃん"と呼んでいた)
そして中学に入ると、
学校の実在の先生や架空の刑事さんや生徒を織り交ぜながら、
ときおり挿絵も入れつつ、
普通のノートにちょっとした探偵小説を書き進めていた。
それを近しい何人かのクラスメイトに見せると、
わたしも登場させてくれ、だの、
挿絵のかっこいい刑事さんとわたしをくっつけてくれだの、
リクエストが増し、
そのリクエストもぜんぶ取り入れつつ、身内が喜ぶミニ大衆小説となっていった。
中2くらいには、
片思いのクラスメイトと結ばれる妄想がふんだんに折り込まれた、
「乙女どおり夢どおり」
という超ド級恥ずかしタイトルの、上下セットのマンガ制作に夢中になって取り組んでいた。
そして中3くらいの頃に、
教科書に出て来た高村光太郎の「レモン哀歌」という詩に心を揺さぶられ、
その詩をまるまるソラで言えるほどに暗記する。
そうして自分の中の、詩のようなことばがうまれはじめる。
高校生の頃には世の中で短歌が流行り、
それに触発されて自作の短歌をたくさんつくって、
"マイ短歌集"
をワープロで和紙に印刷し、一冊にまとめたりしていた。
そして上京後、
通っていた専門学校のそばを流れる、
ときおり死体も浮くという噂のドブ川をテーマにした、
どよんとしたサイケな詩に変わっていく、、、
卒業後、大失恋の後に、
哲学めいた世界にひとり勝手に没頭し、
そんなことばや絵を書き連ねていく、、、
こうして振り返ってみると、
わたしの核となっているのは、
ずっと、
ことばと物語と感情、
なように思う。
音楽とメロディは、
それはいつでも当たり前にわたしの中にあり、
取り立てて注目するものでもないくらいに、
自然にわたしの一部。
ことばは、
自分の感情が揺れ動いたときに現れる美しい現象。
とくに、日本語はとても繊細で美しいと思う。
それを受け取る人たちの感性も。
わたしは、
ことばを本当に大切にしたいと思う。
メロディと当たり前のようにリンクして、
魂が震えることばを常に紡ぎ続けたいと切に思う。
けれども曲を作り続ける中で、
それを死守し続けたいという姿勢とはうらはらに、
ずっともがき続けることになる。
あの頃は自由で孤独で、それはそれでまたよかったな、
と時々おもうときがある。
もうことばの泉は枯れちゃったんじゃないかな、
と思うことがある。
けれども、
つくり始めたからには、
つくり続けるしかないのです。
永遠に、もがき続けながら、
魂が震える瞬間を探す旅。