2020年5月12日火曜日

宇宙銀行的な、いくつかのエピソード


 世の中のこの状況の中、

 ライブが全然できなくなってしまって、

 音楽仲間のみんなや、自粛営業をしなくてはいけない様々な職業の方々は、多かれ少なかれ収入が減ってしまって、いろいろ大変だし、それぞれに、模索中だと思う。


 わたしももちろんそのうちの一人なんだけれども、

 金銭的には、じつは、今のところは、めちゃめちゃ困ってる、という感じではない。

 (現実逃避かもしれないけれど)


 自粛前、ちょこちょことランチに出かけたり、夜ごとに飲み歩いていたぶんの出費が減って、

 そんな中、少しずつだけれども通販や、印税や、CMのギャラなんかが時々入ったりして、

 収入は減りつつも、まあなんとかギリギリ暮らしていける感じ、ではある。


 お金がなければないで、そのまんま受け入れて暮らすし、

 "宇宙銀行的"なものにも、ずいぶんと助けられてきたと思う。

 せっかくなので、そのいくつかをご紹介してみます。

 
 【NY】

 NYに、友人に10万円を借りて行ったら、帰りの飛行機で近くに座っていた知らない人に、10万円振り込んでもらえたはなし。(そのエピソードはこちらhttps://inotomo73.blogspot.com/2015/03/21ny.html)



【房総のタクシー】

 千葉の房総の、駅からずいぶんと遠い海辺でのラジオイベント出演の帰り。

 楽屋代わりの宿から駅までタクシーで30〜40分くらいの道のりの途中、

 半分以上進んだあたりで、大事な忘れ物を思い出した。

 でもその場所から忘れ物を取りに戻ってまた駅に行くとなると、料金がめちゃめちゃ嵩む、、

 と心配していたら、わたしのギターをみた運転手さんが、

 お嬢ちゃんが歌ってくれたら、忘れ物を取りに戻る往復分はマケてあげるよ、

 という。

 わたしはタクシーの車内でおもむろにギターをケースから取り出して、歌った。

 選曲は覚えていないけれど、おじさんの好きそうな曲を歌ったんじゃないかな。

 運転手さんは喜んでくれて、そして本当に往復分のずいぶんな距離を、料金メーターをオフにしてくれた。 わたしはお礼に何曲も歌った。走る歌声喫茶。

 房総の運転手さん、ありがとう。



【青汁屋さん】

 息子をお腹に授かって、臨月の頃。

 当時はずいぶんとのんきに暮らしていて、出産費用が実際にちゃんと払えるかどうか、なくらいのギリギリな感じだった。(出産後に武蔵野市に申請すればちゃんとお金が届くんだけれど、ひとまず産む時に支払わなければならないその実費が実際に危うかった。サバイバル出産。笑)

 その出産費用をとりあえずつくるために、お腹がパンパンの妊婦にもできるちょうど良いバイトないかなー、とおもっていたら、散歩の途中にちょうど通りかかった駅前のガード下の、3畳くらいのスペースの店舗の閉じたシャッターに、バイト募集の張り紙がしてあった。

 ためしに問い合わせてみると、オーナーさんが、自宅の低速ジューサーをその店舗に持ってきて、三鷹の畑から直接仕入れてきたケールを使って、青汁スタンドを始めてみよう、と思っていたところだそう。

 あなたが働いてくれるなら、お店をオープンすることにします、と、なんともゆるい。

 時間帯も、わたしの自由。

 オーナーさんが運んできた採れたてのケールを低速ジューサーで絞り、1杯200〜300円で売る。

 そしてじぶんでもちょこちょこ飲む。(冬場のケールはとても甘くて美味しいことを知った)

 "健康青汁スタンド"みたいなものが世に浸透する前の時代で、

 当時はまだ若干、罰ゲームてきな印象だったそれは、

 日に何杯も売れるわけではなく、

 しかもわたしの気の向いた時間にふらりと2〜3時間開ける感じで営業していて、

 わたしのバイト代の方が、売り上げよりもだんぜん多かった。

 でもオーナーさん的には、ご自分のいくつかの事業のうちのひとつの気まぐれ青汁スタンドに、そんなに利益を期待してるわけではない様子で、

 そのままゆるーく、本当に生まれる直前でお腹がパンパン過ぎてわたしが青汁スタンドの小さな扉をくぐれなくなるくらいまで、のんびり雇ってくれていた。

 
 そして、もう生まれそうなので行けなくなりそうです、と伝えると、そこでそのお店は閉じたのでした。

 まさに、わたしの出産費用だけのために奇跡のように一瞬だけ吉祥寺のガード下に現れた青汁スタンド。

 わたしは臨月のその数ヶ月、冬の甘い採れたて無農薬ケールの青汁で日々健康をいただきながら、バイト代までいただいていたのでした。

 その同時期に、出産費用と同じ額くらいのCMの仕事が突然入って、

 これはもう、完全に宇宙銀行だなあ、お恵みだなあ、と感じていた(わたしの勝手な造語だったんだけれど、ネットで調べたら出てくるから、そういう概念があるのだろう)



 【古道具屋のアルバイト】



 自宅から徒歩30秒くらいの場所に、古道具屋さんがあった。アンティークショップではない。ガラクタ屋のたぐい。

 ある日通りかかると、お店番の女の子が、わたしはそろそろやめるので、代わりにお店番やりませんか、と話しかけてきた。そんな感じで入り込んだ古道具屋さん。

 お店番をしながら、ギターを弾いたり、曲をつくったり、ラジオにリクエストのファックスを送ったり、かなり自由きままにやっていた。

 店主のおじさんがどこかしらから仕入れてきたガラクタの数々を並べ、時々ハタキをかけたりする。お客さんはあまり来なくて、基本はずっとヒマ。

 漫画を読んだり、好き勝手に過ごしながら、おじさんがトラックで帰ってきたときだけ、ピカールで手近の品物を磨き出す。そんな日々。

 そのお店もやはり、売り上げよりもバイト代の方が多くて申し訳ないくらいだった。

 店主のおじさんは裕福には全然見えなかったけれど、日々とっぱらいで、1日の終わりに現れて、くしゃくしゃの千円札を何枚かくれた。

 自宅がとても近かったので、お腹が空いたら同居人にごはんをつくって届けてもらったり、とてつもなく自由だった。

 デビュー後もしばらくこの店に居て、曲を生み出していた。嘘みたいなゆるゆるのバイトだった。

 

 ずいぶんと長くなってきたので、今回はこのあたりまでにしておくけれども、

 ほかにも、元手もないのに見切り発車でアルバム作品をつくり、何十万円も振り込まなくてはならない期日のその直前に、急に必要な額の何倍もの予期せぬ振り込みがあってギリギリ助かった、とか、エピソードはまだまだある。



 これを読んでくれている人も、

 そんな、じぶんに起こった"宇宙銀行"的な、お恵みエピソードをいくつか思い出してみると、

 そんなモードがどんどん加速していくかもしれないよ。


 目の前の不安に振り回され過ぎずに、

 宇宙を信じられる感覚、というか。

 委ねる感覚、というか。

 
 どう転がっても、結果OK、みたいな。

 
 
 今は大変な時期だけれども、

 きっと大丈夫。

 大丈夫じゃなくても、大丈夫。

 
 思い切り、この世界を味わおう。

 
 そして、落ち着いた頃に、笑ってまた会いましょう。


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