奎は向かいの棟の友人(大人)宅にお邪魔して、
夕飯を一緒に食べさせてもらい、漫画(藤子不二雄「チンプイ」)を借りて満足げに帰ってきた。
実は夫とわたしの仕事が夜に重なり、どちらも帰宅が遅くなりそうなことが判明して、どうしたものかと思っていた先週にちょうど、その向かいの友人夫婦が白いゴーヤとか青のりとかを届けに来てくれて、ついでに家で少し飲み、そのタイミングでお願いしたのだ。
結局はわたしの仕事の予定がずれて預かってもらわなくても大丈夫になったのだが、奎が遊びに行くのを楽しみにしていたので、せっかくなのでということで、夕飯をお土産に、奎だけ遊びに行かせてもらった。
漫画読みたくなったらまたいつでも来ていいよ、
とその友人嫁は言ってくれたらしい。
改めて思うけれど(そして前にも書いたけれど)、
わたし(たち)は隣人にほんとに恵まれている。
最初の一人暮らしのときは、蒲田のはずれの木造モルタル風呂なし6 畳一間の物件だったが、
向かいの棟にピラオという同じ学校の友人がいて、
つかず離れず、お互いヒマなときにちょいとお邪魔し、
ときには朝まで音楽を聴いたり、ギターを弾いたり歌ったり、とりとめもなく話したり(話の内容はすっかり忘れてしまったが)、
すごくいい距離感の隣人だった(恋とかなんとかの感情をお互いまったくはさんでなかったのもその良さのひとつだ)。
今でも年賀状だけはやりとりしている。
その次に住んだ吉祥寺の木造風呂なし物件(4畳半増えた)では、
隣りの部屋のインド人ラジが超カレー作り名人で、
その"ラジカレー"にどんなにお世話になったことか。
ラジにはちょいちょいデートに誘われて困ったが(わたしの友人たちもことごとく誘われていた)、彼はその後素敵な恋人をみつけ、インドに帰った(ということだったがなぜかときどき吉祥寺でみかける笑)。
そしてその次に住んだ、築40年以上の木造アパート(風呂が増えた)では奎が生まれ、
お隣りのおばちゃんが、当時それはもうとにかく毎日のように奎の遊び相手になってくれて。
煮物とか、いろいろな手づくりおかずもたくさんお裾分けしてもらった。
"おとなりさん"は、今では"元おとなりさん"として、時々、奎に本を届けに来てくれたり、動物園に連れて行ってくれたりする。
そして今の向かいの棟の友人夫婦。
ときどきお互いふらりとお裾分け合う。
ついでにごはん食べってってもらったり。
ほんとありがたい。
まわりの人たちと、愛やらなんやらをぐるぐると交換しあいながら、
だからこそ健やかに生きていけるのだなあ、と、
改めて思うのです。
東京は、というかこの世の中は、心を開けばとてもあたたかい世界です。
ほんとにどうもありがとう。
今までの、そしてこれからの、愛する隣人たちへ。