2012年2月1日水曜日
瞑想歩きとコーヒー休憩
日常のことは、固定中の右手親指抜きでもなんとかまあやれるようになってきた。
けれど、ギターを弾くとなると、うまくいかなくて、むー、モヤー!
となる。
親指以外の指だけでうまく弾けるようやっているけれど、すんなり行かない上に、これでへんなクセがついてもいやだ、なんて思って中途半端。
でも、新しい曲は作っています。
ちょっと前までは、
「この骨折の意味はいったいなんなんだろう、わたしはどこへ向かっているのだろう、」
と、答えの出ない問いで思考が埋め尽くされていたのだけれども、
そういうのをとりあえず横において、
今、目の前のことをひとつひとつきちんとやっていこう、
と、できることをできる範囲でやっているところ。
そうして、片手状態では自転車にはたぶん乗らないほうがいいので、
どこへ行くにもとにかくたくさん歩いています。
歩きながらたくさんのことばや気持ちが通り過ぎて、
そしてそのうちなんもなくなって、
瞑想歩きになってます。
そんな今日は、気付くと2時間以上歩いていた。
あと、途中のコーヒー休憩で、
いくつかの作りかけの曲に、
詞をつける作業。
これまでわたしは、
いい曲というのは自然に"できたがる"ものだ、という感覚があって、
ことばとメロディが同時に降りてくるものを、
それこそ10分くらいで1曲できてしまうものだけを、
優先的にかたちにしてきた。
けれどもその一方で、そのまま、詞がつかないまま葬られていく曲の断片たちに、少しはもっと粘り強く向きあってみたらどうだ、という自分もいて、
今、
そういうひとつひとつの曲のかけらたちに、
少しずつ、ことばという生命を探して当てはめてみる作業をしています。
けれどもコーヒー休憩のほとんどの時間は、
窓の外を行き交う人たちの生き様に興味を持っていかれて、ついついぼーっとしているけれど。
ああ、働くって、こういうことなんだなあ、
とか。
あの人どこに行くんだろ、とか。
あの髪の長い女の子のは良い匂いがしそうだな、とか。
あの散歩中のわんこは昭和ふうだな、とか。
そんな今日この頃です。
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