2019年4月16日火曜日
喜びだけで、暮らしたい
外側のなにかは本当は必要なくて、
ぜんぶぜんぶ、
じぶんしだい、
ぜんぶオッケー、
まるまる今の自分を受け入れて、
そのまんまの宇宙の流れに委ねる、
ともかく充分に愛され満たされている、
生きているだけでそれはもう最高、
みたいな感覚を思い出すだけ、
なあんてことを聞くし、
もしかして究極的にはそうなんだろうけれども、
なかなか
どうしたって
外側に求めてしまうなあ
愛されているかどうか
無意味に確かめてみて無駄に撃沈したり。
そんなことの繰り返し。
試すようなことや、ちょっとした疑いの気持ちや、むちゃくちゃ寂しくて足りない感じ、なんかは、たぶん、真実の在り方からは遠いのだろう。
とはいえ、真実、悟り、なんて明確に言えるところになぞ、一生たどり着けそうにない気もする。
そういう"ジンジンヒリヒリする感覚"も嫌いではなかったりして。
そういうのもぜんぶひっくるめて、最初から愛は、ここにある。
そしてそれに気付くも気付かないも、自由。
愛も、お金も、
自分自身が充分に満ち足りて、
しあわせな気持ちで
安心して、
周りにどんどん与えることができると、
自然に循環して、
大きく戻ってくるもののようで。
足りないと思って欲しがり過ぎるとそれは、
とたんに焦げ付きはじめる。
わかっては、いるんだけどなあ。
なかなか日々、焦げ付きがちです
それもまた、よし、なのだろうな
大きな視点でみるとね。
笑
苦しい思いは、もういらない。
喜びだけで、
暮らしたい。
なんてね。
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